故郷の復興にできること

私の生まれは、福島県の大熊町という片田舎

東には太平洋、西には阿武隈山脈を風光明媚な場所だが

福島のチベットと言われ、私の父が働き始めたころは東京に出稼ぎをしていたらしい


私は物心がついた時から、近くに福島第一原発があった

我が家と直線距離にして1km強の位置にあった


小さいころ父に聞いたことがある

放射能が漏れたらどうなるの?いわきまで逃げなきゃダメなの?


漏れたら町は封鎖されて戻ってこれない

いわきよりももっと遠くに行かないといけない


父の言葉を聞いて子供ながらに怖いと感じた記憶がある


ただ、放射能が漏れるとは誰も思ってはいなかった

町の人も原発で働いている人も


町が裕福になった代わりに冷静なものの見方をみんな失ってしまった


実は私の祖母は福島県初の女性の教育委員長を務めていて、

原発反対派の公選の住民代表をしていた


推進派の町長の家と根本家はほんの数百メートルの距離だった・・・


祖母が言っていたことが


無碍に原発に反対をする訳ではない

自分は死んでいく身

だからどうなってもよい

でも、安全かどうか分からないものは、自分の子供や孫の世代のために

誘致するわけにはいかない・・・


今、考えるとすごくまっとうな考えだ

ただ、当時の原発バブルで浮足立った住民には聞き入れてもらえなかった


大熊町の隣の町、富岡町や浪江町では積極的に帰還を進めている

でも、時期尚早ではないのか


安全かどうかわからない地域に自分たちならまだしも

子供や孫の世代を住まわしてよいのか


チェルノブイリを見るまでもなく

帰還できるのかどうかもっと真剣に検討すべきだと思う





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